2013/06/17
Vladimir Horowitz plays Rachmaninoff sonata No. 2 op. 36
魂の叫びが聴こえてくる素晴らしい演奏。
この演奏を聴く前にギレリスとリヒテルのショパンを聴いていました。お二方とも、ベートーヴェンでは素晴らしいと思わさせてくださいますし、リヒテルはショパンのエチュードでは左手小指の不自由があるにもかかわらず名人芸を聴かせてくださいますね。
それで、リヒテルのラフマニノフを聴き始めたのですが。。。
第2番のコンチェルト。こんな風なのかなあ?と自分自身で思い始めてしまい、やはり、ホロヴィッツを聴かなくては何も始まらない!そう思ってこの演奏を聴き込み始め、「ああ、感情的というか心の中から叫んだラフマニノフはこうなんだ!」というホロヴィッツの思いとラフマニノフのこの作品への入れ込みが辛辣に伝わってきました。
ホロヴィッツの演奏は確かにミスタッチが多すぎます。ですが、演奏の本質はそこにあるのではないんですよね。ラフマニノフはホロヴィッツのような左手がないと決定的な演奏をすることは難しいと、自分でいろいろ練習してみて感じています。左手は人間の心の闇のような部分も表現できますものね。
芸術って心なんだなあとつくづく感じます。心は各々違うけど、違う心が違う心を読み解く時に、ある芸術が、また別の輝きを放つことってありますよね。ホロヴィッツの演奏はどの演奏も心があって、彼の人生史があって、人間性があって、だから多分一生聴き続ける、一生ホロヴィッツから学び続けていくことができると思いますね。
演奏のミスタッチは年齢もあるますが、おそらくネットの情報によると、精神薬の副作用もあるでしょう。わたしは分かります。精神疾患になると完璧に演奏するのは難しくなるんです。昨日は弾けたのに明日なると振り出しに戻ったかのように弾けなかったり、日常茶飯事ですね。だから相当苦しまれただろうと思います。薬も今のような開発されたものではないでしょうし。副作用が半端じゃないから。第2楽章の正念場のところのミスだらけは、ホロヴィッツの気持ちの高まりが感じられますね。
わたしも人生虚しくなることが多くなってきています。
先日の日記では自分の決意を書きました。それはそのとおりでなんです。
でも、正直、「精神疾患」というものをしょいこんで生きていくことが、肉体的にも精神的にもこんなに辛いものなるとは思いませんでした。だから、そういう観点でホロヴィッツの演奏を聴いているとすごく心打たれます。「人生」が観えてくるんですよね。1つ1つの音が人生の様々な出来事の一つに聴こえてきます。
この病気になると、乗り越えなければならない試練が、壁がたくさん立ちはだかります。
それを打ち破るために、自分を守る説明を作らなければならない。
ホロヴィッツの左手の強さに、わたしはいろいろな説明のようなものを感じています。
登録:
コメント (Atom)