2013/08/13

Antonin Dvorak Symphony No9 From the New World   Istvan Kertesz



新世界を聴くのならケルテスの指揮が最も相応しいと思います。

ケルテスの指揮でドボルザークやブラームスの作品を聴くと、心が和むのと同時に
何かこう新しいことに期待を持てるというか、何か新しいことを発見できるというか、
はたまたケルテスならではの?作曲家の生没地の風景・文化を思い起こさせる、そんな
気分が味わう事ができます。

この演奏を聴いていると、今自分が置かれている状況をぐっとこらえて新たな道へ模索することができるような、不思議な希望が涌いてきますね。

よい人間、優れた人は、天に早く召される、といったことわざがありますけど、
ケルテスも事故とはいえ、それが神様の思し召しだったの知れません。
リスナーからしたら、もしかして本人も、「それはないでしょ」ですけどね。

わたしはカラヤンが大好きなので、カラヤンの録音は片っ端から聴いてます。
新世界も、ベルリン・フィルとの録音がいいという説と、否、ウィーン・フィルとの録音の方がいいという説もありますね。個人的には、最晩年のウィーン・フィルとの録音が素晴らしいと感じております。

わたしはね、カラヤンばかり好きな訳ではないんです。でも一番心地よく耳にできるのがカラヤンだと感じているだけです。他にも、トスカニーニ、クーベリック、ベーム、クライバー親子、ジュリーニ、ストコフスキー、メンゲルベルグ、ゲルギエフ、・・・いろいろ聴きます。ですが、絶対聴かない指揮者がいます。バーンスタインとフルトヴェングラーです。
これを読んで嫌だと思われたら、すぐにこのブログから去って下さい。

両者を好まないのは、ただ一つ。オーバーな解釈とリアクションを感じるからです。
楽譜に添った解釈が最も望ましいと思うからです。
フルトヴェングラーの「運命」はありえない遅さとオーバーな戸を叩く音。
ベートーヴェンはそんな指示を楽譜で出しているでしょうか?
ベートーヴェンの肖像画を見ると、激情型には感じられません。

またつないで記事書きます。