2013/05/31

Karajan(再生リスト)



わたしが初めてオーケストラの作品を聴いたのは、カラヤンの指揮のものでした。
11歳の時。学校の授業で「運命」を聴いて、レコードが欲しくなり、当時極貧だったうちで、母はピアノのレッスンの費用(それも下町のちょこっとしたレッスン)とレコードの費用を何とか捻出してくれました。母は過労で倒れ、病気を背負ったまま、もう40年近く病院に通院しています。

行った先のレコード屋さんで、「運命」が聴きたいと店主さんに伝えると、これがオススメだよ!
と渡されたのが、カラヤン/BPOの演奏でした。
あの時の感動は今でも忘れられません。それくらいカラヤンの芸術はわたしの心に響きました。

わたしは貧しいながら、きちんとした教室ではないけれど、ピアノを週に1回30分、有名でない音大を出た先生に習っていました。能力があったのか、家でろくに練習もしなかったけれど、楽譜はどんどん進み、小6の発表会でベートーヴェンのピアノソナタ第5番を弾きました。そのご上級課程に進み、ショパンにも取り組みました。
だんだんピアニストになりたいと思うようになりました。先生も教えてくれると言ってくださいましたが、
母の身体のこと、家の経済状況を考え、普通の大学に行って働くことを選択しました。

大学を出て社会に飛びだして、悲喜こもごもの社会生活を送り、31歳で主人と出会い、32歳の誕生日に結婚しました。わたしと違って主人は国家公務員で、本省の職員で、出世コースを歩んでいました。内閣法制局で参事官付として活躍し、結婚式では長官から祝いのメッセージと豪華な花束が届けられました。
それからは3年間幸せでした。こんなに幸せでいいのかと思うくらい。

しかし、いい時は短い、というけれどそうですね。
夫婦ともに病に倒れ、主人は2度にわたり休職、わたしは一生服薬の身となり、子供は産めない身体になりました。わたしは家で家事をするだけの生活。療養にピアノを再開しました。ピアノは能力がまだあるのか、日に日に上達しています。でも、働くことはできません。わたしは重度のようです。
主人は今は軽快して働き、出世もして、これからどんどん出世が待っている状態です。
省の人事異動の名簿にネットで公開されていますので、出世コースに乗ったということなのです。

夫婦って夫婦だけが夫婦なのかな、やはり家族そろってが一番の幸せなのかなと思います。
子供を持たなければ精神的な成長はやはり難しいのでは、と思います。
ルガンスキーの奥様は幸せそうでした。動画で観ました。これがやはり女性としてのしあわせなのではと思いました。わたしはとても悩みましたが、これに応えてくれる人は誰もいません。怒られるだけで、説教されるだけで。この悲しみを克服するのに、5年以上は費やしています。真実を言えば今でも心の片隅で悩み続けています。  

カラヤンがこのように美しい鎮魂歌を奏でられるのは、カラヤンが極貧でなおかつ自身の人生上の問題があったからだと思います。
人間は苦行を積まなければ素晴らしい芸術を生み出すことはできないとわたしは思います。
そして偉大な演奏を理解できない部分があるということは、まだ自分に鍛錬が足りないのだと思うのです。
わたしも人生半ば過ぎました。41歳です。
夢中で生きてきた人生ですが、今は、人生を真剣に考えることが多くなりました。前向きに慣れている自分と、悲嘆にくれる自分とがあり、毎日心が揺れ動きながら、その時その時自分が要求する演奏を聴いています。

わたしが人生で一番怖いのは「死」です。

わたしは主人に先立たれれば孤独の余生が待っています。わたしは強くはなれないです。
きっと悩みぬいて自分の「死」を待ち続けるのではと思いますが、何にせよ、精神薬の服用の人生、体質も変わってしまっているので、わたしが早く死ぬことも考えられるのです。
人生40もすぎると、病気のせいもあるのか、こんな思いがかすめるようになりました。

カラヤンの演奏はいろいろ考えることができるのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿