人を自己を信じることの難しさをベートーヴェンは克服した。
わたしは大学病院に通院しています。今日は診察日でした。同じ区内という近さもあって交通の便はすごくいいですし、我が日本でトップクラスの医療が受けられるので有り難いです。
今の主治医とはもう5年くらいにはなるでしょうか。いろいろあったけれど、今の主治医がわたしにとっては自分の治療にとっては一番重要であることは間違いありません。
主治医にとってはわたしという患者はおそらく模範的な患者では少なくともないと思います。もしかすると非常にややこしい、治療しにくいタイプでしょうね。
主人の人事異動の話が出て、主人が一番心配したのは、「わたしが主治医を変えることを素直に受け入れられるか」ということでした。でも、実際は引っ越しもなく、内部昇進という非常に類を見ない形での昇進となり、主治医を変えなくて済みました。
主人もきょうの診察で、主治医に(わたしと主人は同じ主治医です)、「妻が主治医を変えるのを嫌がってたんですよ」と言ったようです。なので、わたしも主治医には、自分の気持ちをしっかりと話しておきました。「自分を本当に理解してくれる医師に巡り会うのは、精神科の場合は難しいから、すごく焦ったけどホッとしました。」と。
そう、わたしの本当の姿を今知っているのは主人と主治医だけです。
ベートーヴェンは、苦しみの中から「歓喜」を見いだせよ、という考え方に至ったのですね。
これは恐るべき精神力です。耳が聞こえなくなった自分を受け入れ、ありのままの自分でいて、作曲されたのがちょうど「運命」交響曲辺りからです。
今はインターネットなどいろいろな手段で自らを戒めることができますが、当時は貴族の支配の時代で、生きるのすら大変だった時代で彼は「歓喜」という言葉を見いだしたのです。
彼は恋こそしたけれど、伴侶はいなかったですね。その精神的な負担は如何程であったでしょう。人間、幸福がないと、生きていくことは難しいと思いますが、彼は苦難の中に、自分なりの「幸福」を見出し続けていったのですよね。というか、苦難を幸福に置き換えようとしながら生きていったのではないでしょうか。だから、ワインを止められなかった。だから、いろいろ素因はあると思いますが、肝臓を壊してしまったのです。
肝臓は一度壊すと元にはもどりません。現代の医学をもってしても、病気の進行を薬で食い止めるくらいしかできません。オペとかしても、結局は完治しないのです。
耳が聞こえない作曲家、といえば、先日TVで日本人で耳が聞こえない作曲家のことを放映していました。彼の交響曲第1番は最高傑作です。現代になってこれほどまでにすばらしい音楽を生み出す作曲家がいたんですね。
彼の耳が聞こえなくなったときの苦しみ、聞こえないまま曲を作る苦悩、そして奏でられた哀愁を帯びたこの世の人生を語るような壮絶な音楽。
彼も追いかけているのは何か「人生の喜び」のようなものだったと思いました
「苦難の中に喜び」を見出し、人生は「歓喜」に包まれている、
そのような考え方ができるようになることが如何に素晴らしいか。
精神科医に対しては、自分の治療をきちんと進めていただくことが肝心であるが、やはり、精神科医と会話しながら、診察の最後に、今日は何何すべきだと教えていただいた、という安心感、会話で得られた信頼感は、精神状態を安定の方向に結びつけてくれるような気がします。でもわたしはまだこのレベルです。
いつか、ベートーヴェンのような考え方に至れればと思うのです。まだ未熟な自分です。
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